お知らせ
『札幌市のトリセツ』(2025年8月1日 1版1刷発行)の掲載内容につきまして、以下のとおり訂正させていただきます。
ご利用・ご愛読の際には改めてご確認いただきますようお願いいたします。
読者の皆さまをはじめ関係各位にご迷惑をおかけいたしましたこと、深くお詫びを申し上げます。
<表紙>
■P.71(旧仙台藩士や旧会津藩士の琴似入植に始まる全道開拓)
<拡大する屯田兵村の実態パート>
誤)屯田兵村の生活は決して安定したものではなかった。農業経験の乏しさ、冷害や病気、物流の不備、生活物資の不足などが重なり、入植初期の死亡率は高かった。しかし、士族の入植者たちは従前どおりの主従の結束を保ったまま、統制された組織のもと、農地開墾と住居建設を同時に進め、この地に根を張っていった。
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正)屯田兵村の生活は決して安定したものではなかった。農業経験の乏しさ、冷害や病気、物流の不備、生活物資の不足など、北海道の自然環境での暮らしは厳しいものだった。 しかし、士族の入植者たちは統制された組織のもと、農地開墾を進め、この地に根を張っていった。
■P.72-73(琴似・山鼻・新琴似・篠路と札幌に誕生した4つの屯田兵村)
<耕作と国防のふたつの役割パート>
誤)屯田兵条例
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正)屯田憲兵例則
誤)3年間の生活資金を貸与した。
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正)3年間の生活資金を給付した。
誤)篠路(しのじ)
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正)篠路(しのろ)
<市域で重要な役割を果たすパート>
誤)山鼻は札幌本府の治安維持を担っており、軍事色の強い屯田兵村だった。
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正)山鼻は札幌本府の治安維持のため、開拓とともに兵備・警衛を担う屯田兵村だった。
誤)鹿児島から上陸し、
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正)熊本(百貫石港)から上陸し、
誤)屯田兵は日清戦争や日露戦争でも最前線で活躍することになる。
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正)屯田兵は日露戦争でも最前線で活躍することになる。
※以上の誤りを訂正いたしましたP.70-71、P.72-73の誌面(PDF形式)ダウンロードはこちらから。